『技術と、遊び心。 極めることと、楽しむこと。』
さてさて大げさなタイトルをつけさせてもらった。 先日認めた(したためた)コラムがけっこうな誤解(?)を生んでいることが多いようで、ある程度の予想はしていたものの、やはり嘆かわしい。
人が自分の経験値を越えて理解することは難しい。 が、”勉強”とはそもそも、先人の経験や実績、過去を生かし、より良く”こと”をなすために”考え、方法論等”を吸収するための楽しいおこないではないだろうか? ”勉強”を否定して楽しい未来が???
まずは、釣りにおける”技術”。 最もわかりやすい実例として、『とある場所、とある時期に釣師が集って釣果を競い、最も優秀な結果を残した者が、その時、その場所における最も上手い釣師』・・・それで良し、とさせていただく。 ”釣果”を競ったのなら、”釣果”の優れたものが上手い釣師・・・・・それで良し、と。
細かく書けば、『他人よりも釣れる場所、潮、流れ、時合いを知ることがうまく、キャスティング、プレゼンテーションが上手く、バイトに導く技の質、幅の広さを持ち、バラさない技術も持ち・・・』・・・・・より細々としたことは、別の機会に。
良い釣果を得るために必要なのは、『1.場所 2.餌 3.腕』と昔から良く言われている。
このことが成立する前に立ちはだかる真実が、『三分の人事、七分の天』。 ”運”にまさる”結果”、”釣果”はないだろう。
”技術”はどれほど高いレベルまで極めようが、所詮は”技術”に過ぎない。
これとは次元の異なる”遊び心”、”楽しむこと”に関わるその内容は深く、広がり、果てしないものだと考える。
時には”技術”が楽しむためのスパイスのひとつに過ぎないこともある。
. 『次元のちがうものを同じようにとらえていては、大切なことがわからなくなってしまう。』
”釣師としての文化レベル”・・・これが低いと、続きません。 深み、広がりを知ることも無く、その釣師の存在はただ、消えていきます。
せっかく巡り合えた”釣り”という面白い遊び。
自分なりの価値観を見つけ、もっと”楽しむこと”に眼を、心を・・・・・そして、御一考を。。。